高校3年生になりました。クラス編成で進学クラス、就職クラスと分かれました。私は進学クラスになり、親友のUさんも進学クラスで同じクラスになりました。Uさんとはいつでもどこでも一緒でした。昼休みの弁当の時間とか、放課後の図書館。毎日彼女といるのが日課になりました。いつも進路のことを2人で話し合いました。Uさんの希望は勿論中国残留孤児の人たちの為に日本語教育の先生になることでした。私は?迷いがありました。英語を話せたらどんなにいいか。Uさんは日本語を教えられる能力があるのに。私は英会話の能力すらない。Uさんとの間にすごく差を感じてしまいました。

Uさんの進路の夢は「私はこれから中国から日本へ帰国するという残留孤児の人たちの手助けをしたいの。やっぱり日本語話せない不便さは感じたんでその人たちのお役にたてたら、それでいいの。」確かに。彼女は日本へ来て全然話せなかった苦悩をしてるから、これから中国から日本へ帰国する人たちに一言でも早く日本語を覚えてもらいたいという夢と情熱で溢れていました。彼女らしい選択です。

そしてこの私は?英語は好きです。でも会話力がありません。Uさんのように言葉を教えるスキルなど全然ありません。一体進学クラスを選んだものの私は何が出来るんでしょうか?一時は趣味の絵が好きなので絵画関係の大学か専門学校へ行きたいと両親に相談したところ、生前の父に「画家や漫画家になれるわけない!そんなもんでお前に一生飯が食えるわけがない!」と猛反対をされました。私は子供のころから絵を描くのが好きで大人になったら「漫画家」になりたいという夢は持っていました。それが父の一言で夢はもろくも崩れてしまいました。両親からは「絵は趣味として一生やって行けばいいい。その方がお金もかからないし、第一漫画家なんて大それた夢にしか過ぎない。」と私の夢は否定された、とこの瞬間感じました。

では私は一体何をしたらいいのだろうか?段々自分自身が見えなくなり、部屋で泣いてました。私には何もないのか?Uさんのように語学を教えることも何もできない。夢ももう果たせそうにない・・と。否定されて実に悔しかったです。実の両親にあんなこと言われるなんて。ショックでした。

親友のUさんに相談しました。Uさんは「あなたの両親はあなたのことを心から心配してるのよ。だって漫画家って成功するか失敗するかのどちらかになるでしょう?私もそういう世界は良く知らないけど、売れなかったらお金は入らないってことになるわよね。厳しいこと言うようだけど、私もあなたの両親の意見に賛成よ。」さすがにUさんは苦労してることだけのこと有ってそれなりの意見を言ってくれました。私も彼女の意見を受け入れて絵は趣味でやっていくことにしました。

進路の決まらない私は八方ふさがりでした。数学、理科系は苦手だし、体育も家庭科も得意じゃない。じゃあ残された好きな英語で進路を決める?でもどうやって?分かりません。どうにもこうにも。Uさんは「まだ3年生は始まったばかり。悩むことないよ。」って励ましてくれました。本当にUさんは信頼の友。心から私のことを思ってくれる友達は彼女だけでした。私たちは本当に心から呼べる親友でした。親友って素晴らしいです!

こんな状況で文法の何が役に立つと言うのがますます疑問が募るばかりでした。毎日読み書きの連続。もういい加減この勉強法には飽きてきました。でも学校の方針だから仕方がありません。先生からは相変わらず「○○文の文法をしっかり押さえておくこと。」ばかり。私は納得いかずで本当にこの勉強方針でいいのか?と叫びたいくらいでした。