中学を卒業し、高校へ入学しました。9年間の義務教育を修了し、いよいよ大人へ近づいていく年頃になっていきました。高校での英語教育で印象に残ってるのは文法教育と読む教育が二手に分かれてたことでした。これはさすがに戸惑いまして!何故英語なのに、2つに分けて授業するわけ?と不思議で仕方なかったのです。

中学時代と違い、高校の英語はますますレベルアップ。長い単語と長い文章。長文読解という問題が初登場しました。長文読解というのはある英文の小説の一部や新聞の記事など長い文章を読んで、その内容がどんなのだったのか簡単に説明するというものでした。ある程度日本語に訳さないとそれは説明できません。かなりの難問で内容をスラスラ説明できる生徒は少なかったです。

高校になって初めて英語の辞書を手にして、分からない単語は辞書で調べて自分で長文を訳して大体の内容を説明できるようにするということが多くなりました。英和辞典を引くだけでも大変で、長文の内容をまとめることは私達生徒にとっては大変な勉強法でした。またまた高校でも英語嫌いが多く出ました。長文読解で内容を説明することが上手く出来る生徒が少なくて、脱落者がけっこう出ました。高校の先生も厳しくて、「勉強についていけない者は落ちこぼれであるね!」と一喝。昔の「落ちこぼれ」はもうできなくなるとどこまでも落ちこぼれていきました。もう義務教育ではないので、赤点というのがあって、○○点以下は赤点と言われ、それが本当の落ちこぼれと言われていたのです。

文法と読む教科書が別々にされた戸惑い感。慣れるまで本当に時間がかかりました。中学時代は「ニューホライズン」の1冊だけで済んだのに、高校になってからは2種類に英語の教科書が分かれました。時間割的に2時間続けて英語の授業が続きました。文法用授業と読む(読解力)用授業と。う~ん、当時の私にも何だかいくら好きでも英語に対する勉強法の負担感がありました。覚えることがますます増え、赤点にならないように必死で勉強しました。

私の通ってた高校では4教科以上赤点を取ると親呼び出しでした。このままでは留年の可能性があるという話し合いが目的だったのです。赤点は私にとっては恐怖でした。他の教科で1つ赤点を取ったことがありましたが、そのショックが大きくて、このままじゃ自分は留年だ~って大泣きしたことがあったんです。でも親友と呼べる人が現れ、いつも「大丈夫よ。次回挽回すればいいんだから。」といつも励ましてくれました。彼女は私にとっての信頼の友Uさんです。Uさんは父親が日本人、母親が中国人のハーフだったのですが、日本語がとても堪能で、元々は中国に住んでいました。でも彼女の父親の親族と連絡が取れたことにより、家族全員で日本へ来たそうです。日本に来たころのUさんは日本語が全然話せなかったそうですが、1年間だけ父親の故郷の中学に編入し、日本語を学んだそうです。1年で日本語が堪能になり、Uさんは努力家だな~って同姓ながらも私は彼女を尊敬してました。Uさんは皆よりすごく大人でした。

日本語を覚えたばかりのUさんも英語は苦手でした。まだまだ日本語では分からない面があるというのにこれ以上英語を学ぶなんて・・・。彼女には相当の負担感がありました。でも私と親友になったことにより、分からない英語でも一緒に勉強したいと言ってくれました。戸惑い感はUさんの方が大きかったですね。

私が英語が好きだということを話したら、是非英語を教えて欲しいと頼まれました。Uさんにとっても私にとってもお互いに親友と呼べる仲になり、交換日記を始めて一緒に英語の勉強を始めました。